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【木よ伸びろ!】西原町幸地の「歴史の道~首里城と中城城を結ぶ道~」史跡「幸地グスク」へいってきました!

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はいさい!J-45やいびぃ~んパー




先日、西原で呪文を唱えてきましたヒミツ

よりも高く、に向かって伸びろ!!

えい!!!

幸地グスク

なんて嘘ですニコニコでもこの凄くないですかニコニコ

ここは西原町幸地にある
-史跡-
幸地グスク
すぐそばに
歴史の道~首里城と中城城を結ぶ道~が通ってますピース



歴史の道
 
歴史の道
西原には、古くから首里から中頭や国頭方面へ向かう道がありました。
西原を通るこの古道は、首里城と中城城を結ぶ道で、首里城から首里石嶺町を通り、本町内へ入ると、刻時森~幸地番所跡~幸地グスク~今帰仁坂(坂田ハイツ東端)~沖縄キリスト教学院キャンパス内~上原集落の東端~中城城に至る、全長12kmに及ぶ道程となっています。
 峰の部分を利用していることからも、古い時代の道であることが分かり、三山鼎立時代には重要な街道であったことが考えられます。現在、この「歴史の道」は、農道や里道として使われている場所もありますが、一部では道路が寸断されていたり、畑地になっていたり、建物が建っているため、往時の道筋を全てたどることはできません。
-平成19年3月 西原町教育委員会-より引用


首里城への道
歴史の道
中城城への道
歴史の道
向こう側に
-史跡-
幸地グスクがあるので行ってみる事にダッシュ
幸地グスク
史跡 地グスク
 幸地グスクについて『遺老説伝』に「幸地グスクの城主は幸地熱田子と呼ばれ、腕力も強く人々から恐れられていた。幸地熱田子は隣の津記武多按司といさかいを起こし、その一族を滅ぼした。訃報を聞いた今帰仁按司が仇討ちにおしかけたが、幸地熱田子の策謀にはまり、殺された。その後、今帰仁按司の息子四人が兵を挙げ、ついに幸地熱田子を滅ぼした」と記されている。
 幸地グスクがある丘陵(標高100メートル)は南北に長く、本当の東よりにある。この峰が分水嶺で、南方は首里方面へ、北方は中城方面につながる。グスク内の最高地点に祠(ほこら)が建てられているが、かつては周辺を観察するための櫓大と考えられる。その北東下は30メートル×30メートルほどの広さを持った曲輪となっている。この曲輪の北よりには井戸があり、居住地化された場所であろう。
 このグスクの注目すべき点は、峰を上を通る「峰道」がグスク内を通過することにある。一種の関所的機能を持ち、戦時には道路を封鎖する目的で造られたと考えられる。幸地グスクは15世紀前半にでき、その後数十年間グスクとして、あるいは関所として、また戦乱期後には領内支配の拠点的な機能も複合的に期待された形で存在した可能性がある。
-平成18年3月 西原町教育委員会-より引用


さっそく登ってみることにピース
幸地グスク
するとてっぺんに
ビージル
幸地グスク
うーとーとーして
今度は下っていきます
幸地グスク
この先に
幸地グスク
見えてきたのは
これです
幸地グスク
ガーがありました。
正面から
幸地グスク
ズームイン♪ピース
幸地グスクガー
幸地グスクガー
向かって左側のガー
幸地グスクガー
右側のガー
幸地グスクガー
うーとーとー
うーとーとー(U人U)

ちょっと離れたところに
グスク上門ガーと幸地按司ガーがありました!
幸地上門ガー
幸地按司ガー
幸地按司ガー
うーとーとー(U人U)




以上、歴史の道と幸地グスクでした。
あんしぇーあとからぁやぁ~パー
⇓過去記事はコチラ⇓













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